
1959年生まれ。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)や『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)などのベストセラーで知られる著者だが、若い頃、何をやっていたのかはいままでほとんど語られていない。
本書は、著者が1980年代はじめ、「この世界の真実は社会の底辺にある」と思っていた大学時代から、阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件のある1995年までをまとめた自伝的回想録的な物語である。マクドナルドの清掃バイトから出版業界の最底辺へ、やがてジャーナリズムのまっただ中に至った著者。バブルがはじまり無残に崩壊するまで、何を体験し、何を感じ、何を考えたのか。自ら投企したことと、バブルに翻弄されたさまざまな人物の群像とその行方。「億万長者」になる方法を語る作家になる前の、長い長い‶80年代"の青春とは?
日本がいちばんきらきらしていたあの時代、
ぼくは、ひたすら地に足をつけたいと願った。
その後ぼくは、「世の中の仕組みはどうなっているのか」とか、「どうやったらもうちょっとうまく生きられるようになるか」というような本を何冊か書くが、そのとき気づいたことを最初から知っていればまったくちがった人生になったと思う。でもそれは、ものすごくつまらない人生だったかもしれない。(「あとがき」より)
ついにあの橘先生がご自分の個人情報を公開されました。
早稲田大学在学中にマクドナルドで清掃のアルバイトをし、モテない人生を歩んで来られたことをアピールされておられますが、
就職してすぐに結婚して子供をもうけていることから、決してモテなかったわけではないとわかります。
氏がすごいのは、就職した出版業界で破竹の勢いで活躍するのですが、35歳のとき(1995年という節目の年)に、あっさりと出版業界から書き手に転職してしまうことです。
出版業界ではキュロットギャルズという女子高生向けの雑誌を作られますが、青少年の倫理観に背くとの理由でわずか3巻で廃刊となってしまうエピソードは面白かったです。
その後は、海外投資を楽しむ会を立ち上げて、海外投資を実践してその様子を出版することに全力を注がれます。
2002年に伝説の名著、「黄金の羽根」を出版して、氏の名前は日本国中に轟きます。
橘玲の名前をそのまま使って、海外投資ミステリーの「マネー・ローンダリング」「永遠の旅行者」の小説をヒットさせ、不動の地位を得ます。
ブログやTwitterなどで情報を発信し続けて、いまもなお最新の情報にキャッチアップしておられる姿はとても尊敬できます。
わたしも常にTwitterでフォローしています。
自分の来歴を語られたのは、何かの理由があったのだろう。
これからの橘玲氏の活動が楽しみすぎるのです。
スポンサーサイト