カブシキ!

  • 2016/07/09(土)
  • 医者とカネ 2016年7月 朝日新聞 GLOBE

    医者とカネ GLOBE

    2016年7月3日の朝日新聞の別冊、GLOBEは医者とカネといういかにもわたしのために書かれたようなタイトルでした。

    この特集は、「医療」にかかるお金の問題ではなく、医者自身のギャランティーのお話です。
    我々医師のフトコロ具合を探られるような感覚があって、すこし読むのを躊躇しましたが、、結局は非常に興味深く読めました。

    まず、「砂漠に医者を集めるドバイ」という項目では、ドバイ国際空港の近くにあるヘルスケアシティを取り上げていました。
    ここには、160の病院や診療所、59カ国から集まった1000人以上の医師が働いているそうです。
    ここで働く医師たちは、より「稼げる」場所をもとめてドバイにやってきたようです。

    日本の医師の殆どは、病院に勤務して、病院から給料をもらっています。基本給があって、時間外手当があって、当直料があって、、、殆どの会社と同じで、年功序列です。成果や実力に応じて報酬があがることはありません。
    いくら腕がよくて、人柄がよくても、実力に見合った給料をもらってないと不満をかかえることが多い仕組みになっています。

    このような勤務体系に嫌気がさして、より「稼げる」環境をドバイに求めてやってくる医師も居るようです。

    英国からやっていきた炎症性腸疾患を専門とする医師は、ドバイにきて月収が3倍になったようです。さらにドバイには所得税がないため、可処分所得は大いに増えたそうです。
    稼げる医者はドンドン稼げて、稼げない医者は淘汰される。資本主義の原則のような世界がドバイにはあるようです。

    自分の労働環境に不満を持っている医者はたくさんいるようなので、腕と知識と英語力に自信があれば、ドバイで働くのもアリなのでは?と思いました。



    「医者が逃げ出すルーマニア」では、ルーマニアの医師の給料の現実が書いてありました。
    ルーマニアの医師は、他の職種(会社員など)と同等のようです。
    ルーマニアのEU加盟を契機に、医師はEU圏内で自由に行き来できるようになり、より高い収入を求める医師は国外に流出してしまったようです。
    定数の半分の医師しか居ない病院もあり、このままでは医療が崩壊してしまいそうです。

    「医者は金だけで動くわけじゃない。ほとんどの国では、医者の給与はトップクラス。金額よりも、医者としてのプライドの問題なんだ。」と話すルーマニア人医師も居るようです。

    医は仁術なりといいますが、我々医者は霞を食って生きているわけではないので、やはり収入が必要です。
    より責任のある、専門性が求められる仕事をして、高い収入を得ることは当然と考えています。


    「スーパードクター育ちにくい国」では、勤務医の平均年収1098万円、開業医の平均年収2675万円という数字が堂々と書かれています。
    勤務医は、どんなに頑張っても年収を増やすことはできず、2000万円くらいで年収が頭打ちになるみたいです。

    日本では、いくら手術をして働いても、年収が増えることはなく、いくらサボっても年収が減ることはありません。偉そうに書くと、我々医者は、労働の成果が給与に反映されるわけではないのに、目の前の患者さんのために自分の知識と技術を生かして働いているということです。


    「医者は将来余るのか」
    毎年4000人のペースで医者が増えています。
    それでも医者は足りないのか?というと、そうではなく、医者が都市部に集中しすぎており、地方に医者が足りないと解説します。
    しかし、2033年ころからは医者が余る時代が確実にやってくるようで、医者が余ると医者間での競争が起こると書いてありました。
    その頃にはわたしはかなりのベテランになってますが、医師間の競争に勝つことができるでしょうか。
    その頃には株式投資で成功して引退しているでしょうか(笑)


    非常に興味深く読めました。
    ありがとうございました。
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  • 2014/03/19(水)
  • 医療化の功罪 名郷直樹

    精神科治療学という医学雑誌。
    Vol.28 No.11 Nov. 2013 には、早期診断・早期治療の功罪という特集が組んである。
    そのなかの「医療化の功罪」という文章が秀逸だった。

    抄録より

    医療化はそれまで医療の対象ではない分野が新たに医療の対象とされることを指す。
    それにより恩恵を受ける人がいる一方、害を破る人もいる。
    この害の部分についての情報はきわめて制限されており、情報開示が必須である。

    その中には治療薬が開発されたために対象患者を探すという動きもあり、大きな問題である。

    医療化自体を止めることは難しいが、医療化の負の面について情報提供していくことがさらに重要になるだろう。



    名郷直樹先生は、研修医の教育などに力をいれておられ、科学的根拠に基づく医療(Evidence Based Medicine)を実践している先生だ。
    風邪症候群に対して、抗生物質を処方するなどの、根拠なき治療を一刀両断する。

    その名郷先生の書く本稿では、いままで治療の対象とならなかった事柄が、治療の対象となり、
    新しい薬が投与されるような例を挙げて、これを「医療化」と呼んでいる。

    医療化されることで、新たにその恩恵を受けるものが居る。これが医療化の「功」であるが、ここで問題にされているのは、医療化の「罪」である。

    製薬会社が新しい薬を開発したとき、薬を売るためにはマーケットが必要である。
    マーケットとは、その薬を飲んでくれる患者だ。
    患者に薬を処方するのは医者である。
    製薬会社の立場からみると、薬を買ってくれる患者が居て、薬を処方してくれる医者がいれば、商売が成立する。
    なので製薬会社はただただ、薬の「功」の部分だけを大きく取り上げて宣伝していく。
    その影には、必ず薬の「罪」の部分で苦しむことになるひとが存在するはずであるが、「罪」の部分に光が当たることはない。

    例えば、肺がん検診。
    以前に、肺がん検診に胸部レントゲンではなく、胸部CTを導入してはどうかという検討があった。
    胸部レントゲンよりも、胸部CTのほうが簡単に肺がんを発見できるからだ。
    しかし、胸部CTには「被曝」という重大な「罪」がある。
    肺がんを発見できるという「功」と被曝という「罪」を天秤にかけて、このときは「罪」のほうが重かった。
    肺がん検診へ胸部CTを用いることは見送られた。

    この例のように、医療化には功と罪があり、必ず功と罪を天秤にかけて、医療化の導入を検討すべきである。

    しかし、多くの医療化では「功」の部分のみが検討され、「罪」が軽んじられる。このようにして医療化は肥大化の一途をたどり、医療費はどこまでも膨らんでいく。

    名郷直樹先生のように、医療化の「罪」を声高に叫んで行く医師は嫌われる。
    もちろん、名郷先生の言っていることが正しいのであるが、検診業界や製薬会社にとって、医療化の「罪」はそのマーケットを縮小させる因子であり、徹底的につぶしておかねばならない。

    そして、医療化の「罪」はマーケットに潰されて、今後も語られることは無いのである。

    ブラックジャックによろしく1


    ブラックジャックによろしく2

  • 2013/10/29(火)
  • 『Dr.コトー診療所』は儲からない

    Dr.コトー診療所


    『Dr.コトー診療所』は、沖縄の八重山列島にあるとされる架空の島、志木那島(しきなじま)を舞台とする医療ドラマだ。
    離島での過酷な医療状況を世間に知らしめ、美しい南の島から心温まる感動の物語を届け、原作も売れ、ドラマも大ヒットした。

    この物語のモデルは実在し、鹿児島県にある下甑島(現薩摩川内市)にある下甑手打診療所にて、30年間離島医療に携わってきた瀬戸上健二郎医師であると言われている。


    離島に診療所を開き、島民のために生活を捧げるというのは、崇高な理念と自己犠牲がないとやっていけない。

    先日、東北地方のある離島に初めての診療所を開設し、ひとりで離島診療をしている医師(A氏)とお話する機会を得た。氏は40歳代で、まだ若々しさの残るスポーツマンだ。学生時代は関東の大学医学部に通い、ラグビーで体を鍛えていたという。卒業後は関東の病院で麻酔や救急の仕事をしていた。
    40歳を過ぎた頃に、長年の夢であった離島の医療を開始すべく、縁もゆかりもないある離島に診療所を開設した。奥さんと子供は関東に残し、単身赴任で離島に来たという。看護師一名を雇い、離島での診療所は島民から大いに感謝された。

    この話が美しく見えるのは、やはり島民が氏の手をとって感謝している図が浮かぶからであろう。実際に開業当初、氏は島民から感謝され、「よくぞ来てくれた。」と歓迎されたそうだ。いままで病院に通うには船で本土まで行かねばならなかったのに対して、島の中で診療が完結することは島民からとても有難がられた。また、島の中に医師が居るというだけで、島民には安心が得られた。

    しかし、離島での診療には限界があり、離島で処置できないような重大な病気や、急患は本土の病院に紹介することになる。本土の病院に紹介するためには、本土の病院と絶えず交流しておかないといけない。医師の世界でも「コネクション」は必要なのだ。A氏はその地域の医師会に所属することにした。医師会のトップに挨拶し、医師会に所属したい旨を伝えたところ、「開業医は入会金が○百万ね」と言われたそうだ。開業資金に財産を使い果たしたA氏に○百万を払えるはずもなく、A氏は入会金をツケにしてもらって医師会に入った。これでなんとか本土の病院とのコネクションもできた。

    理想の医療を行ってるA氏だが、離島医療の問題点は「儲からない」ということだと言う。一日外来を数十人診て、午後から往診に行っても、看護師の給料を払うのがやっとでとても家族を養って行くだけの儲けは出ないという。仕方がないので奥さんに働いてもらい、関東に残してきた家族は奥さんの収入でなんとか食い繋いでいるという。自分の給料はまだ出ないそうだ。医師会へのツケも払えそうにない。この先理想の医療を追いかけ続けても、収入が増える見込みはないとのことだ。


    人間は夢や理想だけを追って生きていけない。医者だってそうだ。今日の食事を賄うためのお金が必要だし、家族を養うにもお金がかかる。
    離島の医療を助けたいという崇高な理念よりも、人間にとってお金は大切なものなのだ。

    医は仁術なりといい、医療をお金と結びつけることを毛嫌いするひとも多い。
    しかし、お金について語ること無く医療はできない。医には算術も必要だ。このことに目を背けて、医療の発展だけを求めても未来はない。

  • 2012/01/29(日)
  • わたしはわたしの自由のために生きたい。

    医師免許を持っていると、「お医者様」と呼ばれ、それだけで尊敬される。
    医師という職業は社会から羨望の眼差しで見られる職業だ。


    テレビの番組表を見れば、いつもどこかのチャンネルで医者をテーマにしたドラマを放映している。
    ドラマに出てくる医師は格好良くて能力が高くて、頭が良くて腕もある。
    患者からの信頼も厚く、患者のために私欲を捨て、家庭を顧みずに仕事に没頭する。

    ドラマの中の医師を、医師である私は大きな違和感を持って見ている。

    世間の人達がイメージする医師像はマスコミによって聖人化され、固定観念となっている。
    医師は神なのだ。



    華やかに見える芸能界でも、テレビに映らない裏側では泥沼の人気争いが行われている。画面に映ることができるのはホンの一握りの芸能人だけだ。
    華やかに見えるプロ野球界でも、熾烈な生き残り競争が繰り広げられており、一軍でコンスタントに活躍できるのはホンの一握りの選手だけだ。
    華やかだと思われている医師の世界にも、いろいろな医師が存在する。神の手を持つスーパードクターも居れば、患者さん想いの良い医師もいる。逆に患者さんも診ないで遊んでばかりいる医師も居る。患者さんと喧嘩する医師も居る。

    でも、医師免許さえ持っていれば、「お医者様」と呼ばれ尊敬される。
    スーパードクターになろうかな、平凡な医師になろうかな、悪い医師になろうかな。どのような医師になるかは、本人の自由だ。
    医師免許を取ったからといって、誰もが神になる義務を負うわけではない。



    どのように生きるかは他人から指図されることではなく、各自が自らの責任の元で決めるべきだ。
    これは資本主義のなかで生きる誰にでも、どの職業にも当てはまるべき原理であるはずだ。


    わたしの自由はわたしのためにある。
    誰からも指図されず、わたしの自由のために生きたい。と最近は願っている。

    医者だからと言って馬車馬のように働かなければいけないという理由はない。
    わたしはわたしの自由のために生きたい。

  • 2011/02/25(金)
  • 長生きは罪なのか。老人医療に際して思うこと。 その4

    その1

    その2

    その3


    入院ベッドの枕元に、大きな千羽鶴が置いてあった。
    千羽鶴には白いリボンがかけてあって、そのリボンに鶴を折った人のメッセージが添えられていた。

    「早く元気になってください」

    わたしはこの言葉の虚しさを知っていた。




    ある朝、9歳の息子はトイレで倒れている自分の母親を発見する。倒れたまま微動だにしない母親をみて、9歳の彼はなにを感じたのだろうか。父親は仕事で家を空けていた。

    息子はすぐに119番に電話した。
    病名はクモ膜下出血。
    43歳の母親は命だけは助かった。しかし、自ら手足を動かすことも出来ず、ベッドに寝たきり。自ら食事を摂ることもできず、お腹に開けた穴から流動食を注入されることで栄養を吸収。自ら言葉を発することも出来ず、意思を他人に伝えられず。

    急性期の治療を終えた43歳の彼女は、療養型病院に転院した。といっても彼女に施すことのできる治療はもう残されておらず、ただお腹の穴に流動食を入れ、筋肉の萎縮を予防するためのリハビリだけが行われた。一日に3回オムツを交換され、週に2回、4人の大人に抱えられてお風呂に入れられる。

    巨人軍のコーチであった木村拓也氏がクモ膜下出血に倒れ、30代後半の若さでこの世を去ったのは記憶に新しい。クモ膜下出血という病気は非常に恐ろしい。働き盛りの大人の人生を奪い去っていく。

    彼女の場合は、命を失うことは無かった。
    でも、それは彼女にとって幸せだったのであろうか。彼女に問うことは出来ない。彼女には自分の意思を表出する力が無いから。

    彼女が以前のように元気に歩いて、元気に子供たちと遊ぶことは、今後絶対に有り得ない。彼女はずっと病院のベッドから動くことはないだろう。
    9歳の息子は、病院のベッドでただ横たわっているだけの母親をみてどう思うのだろうか。
    父親は病院で寝ているだけの妻をみてどう思うのだろうか。

    病院に入院していれば、経済的負担が発生する。お見舞いに行くために、父親は時間的な負担も強いられる。息子は学校の友達に母親のことを話すのだろうか。
    彼女が永く生きることによって、誰が幸せになるのだろうか。


    さて、文頭に戻り、千羽鶴のリボンに書かれた「早く元気になってください」である。
    このリボンは、息子の学校のPTAによって書かれたものだと知った。彼女の回復の可能性が無いことを知りながら、この言葉を書いたPTA。
    その無責任な言葉にわたしは憤りを感じていた。

    徒に平均寿命の延長だけを追い求める日本人の考え方。この考え方に、わたしは怒りの矛先を向けた。

  • 2011/02/01(火)
  • 日本の医療が崩壊。そしてやってくる円安とインフレ。その2 いつやってくるのか。

    その1

    前回、医療が崩壊することを予言したが、2011年現在、大半の人は崩壊の予兆さえ感じていない。今日と同じ明日があしたも続くと思っている。

    団塊の世代が引退する年齢に達している。
    新しい人口ピラミッド2010


    2010年の人口ピラミッド。
    65歳辺りの団塊の世代が、突出して人口が多いのがわかる。

    実は彼ら65歳はまだ元気だ。滅多なことでは病院を受診しない。自分のことを元気だと思ってる。

    では、10年後の人口ピラミッドはどうなるのだろうか。


    2020年。
    新しい人口ピラミッド2020


    団塊の世代が75歳。
    そして、若者の数が非常に少ない。
    世界初の、超高齢化社会が到来している。75歳はさすがに元気では無い。病院にかかる理由も多くなる。

    このような超高齢化社会が完成したときに、現行の健康保険制度は存続不可能になるだろう。これは誰の目にも明らかである。
    この問題、みんな気がついているけど、気がつかないふりをしているだけだ。
    いま改革を起こさないといけないのに、問題を先送りにしている。

    ツケを払うのは、わたしたち国民だ。

    現行の健康保険制度を存続するのであれば、若者の人数を増やすしかない。
    いまから10年後に働き盛りの世代の人数を増やすには、手段はひとつしかない。

    移民を受け入れるのだ。


    それができないのなら、老人を見捨てるという選択しかない。
    つまり、健康保険制度を解体して、すべて民間に移行してしまう。
    当然お金のあるひとは、医療を受けられるが、お金のないひとは満足のいく医療を受けられない。


    移民を受け入れる。それが嫌なら老人を見捨てる。

    この10年以内に究極の選択を迫られるときがやってくるのではないかとわたしは予想している。


    ちなみに、2030年。
    新しい人口ピラミッド20130

    こんなのハッキリ言って、全く魅力の無い国です。こんなところに居てはいけません。
    こんな国はさっさと出ていきましょう。

  • 2011/01/30(日)
  • 日本の医療が崩壊。そしてやってくる円安とインフレ。

    日本の財政は破綻することがわかっている。
    橘玲氏が、とても興味深いシュミレーションを行っている。
    この文章にインスパイアされ、わたしもシュミレーションしてみたいと思った。
    そして、医師として、株ブロガーとして、自分がいま取るべき行動をここにまとめてみたい。





    体調が悪くなれば、病院に行く。保険証を見せれば、どの病院でも3割しか負担せずに医療行為を受けられる。
    もしあなたが、生活保護を受けていれば、どの病院でもタダで医療行為を受けられる。

    国民皆保険。
    日本人は全員、世界最高レベルの医療行為を受けられることになっている。しかも、その保険に入るための負担はわずかである。足りない分は国が払ってくれる。
    保険料が払えないひとでも、生活保護を受ければ、実質無料で世界最高レベルの医療を受けられる。

    世界から見て、日本ほど国民に易しい国はない。日本人は過保護に育てられている。医療行為を受けられるのが当たり前だと思っている。

    ご存知のように、医療財政は大きな赤字を抱えている。いままで、ノホホンと湯水のごとくお金を使ってきたツケが大きく蓄積している。そして、ツケは返さなくてはならない。
    これからわたしたち日本国民はツケを返していく作業を強いられる。

    まず、健康保険の保険料が増えてくるだろう。サラリーマンであると給料から天引で健康保険料が支払われている。自分がどれだけの健康保険料を収めているか、知らない人がほとんであろう。たまには給与明細をみてみることをオススメする。その額の多さに愕然とするはずだ。「こんなに支払っているのか。。。」
    こんなに支払っているのに、自分は全く病院を受診していないというひとが殆どだろう。あなたが支払っている保険料は、老人がつかっているのである。老人の自己負担額は1割。つまり9割は健康保険で賄われている。あなたが支払っている保険料だ。

    先日、ニュースが報じていた。国民の25%が65歳以上という時代に突入したと。
    これからは老人が増える。病院にかかる人が増える。健康保険料は取れるところから取るしかない。まずはあなたの健康保険料が増額される。

    つぎに窓口で支払う「自己負担額」が増えるはずだ。いま3割。この額は一気に5割まで増えるだろう。老人は1割から3割に。生活保護者も3割負担に。
    これによって、「医療崩壊」が始まる。つまり「お金がないために病院を受診できないひとが後を絶たなくなる。」これが医療崩壊の始まりだ。

    わたしは、そう遠くない将来に上記のことが起こると予想している。
    早くて5年後、遅くとも20年以内に。

    そのときは、消費税が25%になっている。そして、缶ジュースは1本200円に。スターバックスのコーヒーは1杯1000円だ。
    コンビニでペットボトルのお茶を買うのに、300円必要になり、タバコは1箱1000円。
    金利が上昇し始め、インフレが起こっているのである。

    しかし、あなたの給料は昔のままだ。給料の額が変わらないのに、物価は2倍以上に跳ねあがっている。
    明日食べるものに困る人が続出し、住宅ローンが払えずに、持ち家を手放せないといけないひとが後を絶たない。

    給料はいまのまま、物価は2倍以上。あなたはそんな時代を生き抜くための知恵をもっているだろうか。


    その2はこちら。

  • 2011/01/29(土)
  • 長生きは罪なのか。老人医療に際して思うこと。 その3

    その1


    その2

    前回のNさんの例は、稀ではない。自分で自分のことを決められず、理由もわからないままに病院や施設に入っているひとが多数いるのである。

    自分で自分のことを決められなくなった時点で、わたしは生きることを辞めたいと思う。
    70歳か80歳か。いつの日か自分にもその日がやってくる。
    その日がやってくる前に、自分の家族にはこのことを伝えておかなくてはならない。
    「自分で自分のことを決められなくなった時点で、わたしはわたしではない。それ以降の人生はわたしにとっては苦痛でしか無いから、決して延命はしないでください。」

    長生きは罪である。と、わたしは思う。
    ただイタズラに生を貪っても誰も得をしない。むしろ社会とって害になる。家族とっては負担にしかならない。
    これは暴論だろうか。
    あなたはどう思うだろうか。

    「それでも大切な家族だから、長生きさせてやりたい。」などという美談をわたしは嫌う。
    すべてを国や首相の責任にして、自らはなにも考察も行動もしない人間をわたしは嫌う。
    現実を直視して、自分はどうすべきか考えなくてはならない。国はなにもしてくれないし、首相は責任をとらない。

    現在のような患者に過保護な医療制度は、そう遠くない将来、崩壊する。
    崩壊後は、あなたは望んだ医療を受けられない。あなたの親を、あなたの家で面倒を診ることになるかもしれない。

    長く生きることが罪になる時代がやってくる。


    その4

  • 2010/12/15(水)
  • 長生きは罪なのか。老人医療に際して思うこと。 その2

    その1

    わたしはほぼ毎日、スズキ病院の全床を回診していた。医師はわたし一人である。
    「こんにちは。」と声をかけても、返答ができる患者はほとんど居ない。ずっと目を閉じたまま、眠り続ける患者。意識はあるのだが、呼びかけに反応せず、ただただ虚空を見つめている患者。呼びかければ目を開けてくれ、視線も合わせることができるのだが、返答ができない患者。意識もハッキリしていて、自力で歩けるのだが、認知症のせいで正常な返答ができない患者。

    様々な入院患者が居るが、そのすべてに共通するのは、「自分で自分のことを決めることができない。」ということ。
    入院患者は、なぜ自分が入院しているのかを理解していない。入院は家族の意志で決められている。

    ある入院患者、70歳女性Nさんは軽い認知症がある。しかし身体的には健康で、自分で歩行もできる。回診のたびにNさんはわたしに聞く。「わたしはいつ退院できるのでしょうか?」
    彼女が入院している理由は、長男夫婦がNさんの面倒を見れないからである。長男さえ真剣にNさんの面倒をみる気になれば、彼女は家に帰ることができる。
    しかし、70歳のNさんの長男と言えば、まだ40歳代の働き盛り、24時間Nさんの面倒をみる余力は無い。結果、Nさんは家族に面倒をみてもらえず、スズキ病院に長期入院することになる。

    さて、Nさんが急に脳梗塞を起こしたとしよう。
    老人ばかりの病院なので、脳梗塞などのイベントは頻繁に起こる。
    スズキ病院は療養型病床なので、脳梗塞の治療は出来ない。医師として非常に悔しい思いをするのだが、療養型病床では殆どの医療行為が出来ない。仮に医療行為(脳梗塞の治療目的の点滴や、CT検査や、手術など)をしたとしても、健康保険からはお金を支払ってもらえない。つまり、検査や治療をすればするほど、病院は損をする。

    検査さえも出来ないのだから、診察だけで病状を判断しなければならない。重篤な病態であると判断し、スズキ病院では対応できないと思ったとき、わたしはまずNさんの家族に連絡する。

    「Nさんが、脳梗塞を起こしているかもしれません。スズキ病院では詳しい検査はできませんから、もし検査や治療を希望されるなら、総合病院を受診してもらわないといけません。受診を希望される場合は、救急車で受診しますから、ご家族のどなたかに同乗してもらわないといけませんので、すぐにスズキ病院まで来て下さい。受診を希望されない場合は、スズキ病院で治療しますが、出来る治療は限られます。簡単な点滴と酸素投与くらいしかできません。Nさんも高齢ですので、救命できない可能性が高いです。どうしますか?」

    突然こんな電話がかかってきたら、誰だって動転するであろう。
    Nさんの長男も動転していたが、「スズキ病院で出来る範囲の処置をしてください。もう、大きい病院の受診は希望しません。」とハッキリと答えた。

    この事例にみられるように、スズキ病院には「患者の意思」というものが存在しない。そこにあるのは「家族の都合」だけだ。
    患者本人が希望しなくても、家族が希望すれば、総合病院に転院して高いレベルの検査や治療を受けることができる。
    患者本人が希望しても、家族が希望しなければ、総合病院を受診することはできない。

    スズキ病院において、わたしは患者本人のためではなく、家族のために診療を行なっていると言っても過言ではない。


    その3

  • 2010/12/06(月)
  • 長生きは罪なのか。老人医療に際して思うこと。 その1

    橘玲氏のこのサイトこの記事を読みながら、自らの仕事について考えた。
    これから団塊の世代が老人となり、日本は超高齢化社会に突入する。当然、老人に必要な医療費も膨張する。この問題から逃げることはできない、いまのうちに現実を知っておく必要がある。これは国民の義務だ。



    体にたくさん管を入れられた状態で長生きはしたくない。体にチューブが入った状態で長生きするのは嫌だ。こう思う人はたくさんいるのではないか、とわたしは思う。

    あなたの父親が脳梗塞となり、意識は無く、寝たきりの状態になった。自分で食事を飲み込むことが出来ず、鼻から胃までチューブを入れて流動食を流しこむことでしか栄養を摂ることが出来ない。

    親族であるあなたに医者が問う。「チューブを通して流動食を摂ることでしか生きていけません。チューブを入れても良いですか?それとも、このままにしておきますか。」

    数年前、わたしは問う側の仕事をしていた。



    県庁所在地のS市街から、山に向かって車を走らせる。20分ほど走ると、山の中腹にラブホテルと見間違えるほどのお城のような建物が現れる。その建物には「スズキ病院」と看板がかけてあった。

    230床。その全てが療養型病床であった。入院患者の平均年齢は80歳を超える。

    認知症、脳梗塞後遺症、パーキンソン病、くも膜下出血術後、脳挫傷、蘇生後脳症、患者の多くはこのような病名が付けられている。すなわち、寝たきりの状態で、自分の意志を相手に伝えることができない。自分で摂食することもできず、自分で排泄物を処理することもできない。入院患者の殆どは寝たきりの患者であった。

    一日に3回、流動食が管を通して胃の中に流し込まれる。一日3回、オムツを換えてもらう。週に2回、お風呂に入れてもらう。
    最近の流動食は非常に性能が良い。人間が生きていくための栄養素は全て含んでおり、流動食さえ食べておけば何年でも生きられる。

    長く寝たきりで居ると、喉や肺に溜まった痰をうまく排出することが出来ないことが多い。痰をチューブで吸引するために、患者の喉には孔が開いている。喉に孔が開いていると、言葉を発することは出来ない。その代わりに、痰はスムースに吸引できる。

    排尿がうまく出来ない患者には、尿道カテーテルが入れられる。尿道カテーテルさえ入っていれば、尿は速やかに体外に排出される。

    スズキ病院にはこのような患者が県内各地から集まってきていた。


    73歳の父親が脳梗塞を起こし、救急車で市内の総合病院に運ばれた。総合病院の必死の治療で、家族の願いが通じて、なんとか急性期を乗り越えた。しかし、入院から14日が過ぎると、早めに退院するように促される。寝たきりの家族を家に連れて帰るわけにはいかず、困った家族はスズキ病院に入院を申し込む。

    昨日まで元気に働いていた45歳の夫が、くも膜下出血で倒れた。救急車で市内の脳神経外科病院に運ばれ、なんとか救命できた。救命はできたが、夫は二度と目も開けることができない。二度と手も足も動かすことは無い。青天の霹靂に困り果てた妻に、脳神経外科病院は退院を迫る。「症状は固定しました。1週間以内に転院先を探してください。」
    精神的にも経済的にも追い詰められた妻は、スズキ病院に入院を申し込む。

    橋の下で生活していたホームレスが、倒れて動かなくなっていた。善意の第三者が119番通報し、救急車で総合病院に運ばれる。総合病院は身元もわからない患者を放り出すわけにもいかず、取り敢えず治療する。治療後、幸か不幸か患者は一命をとりとめた。しかし、患者は植物状態。ひとりでは生きていくことができない。さて、どこに退院するのか。
    この場合は、S市がホームレスの身元を管理する。生活保護者となったホームレスを入院させるために、S市職員は、スズキ病院に入院を申し込む。


    このような事例がたくさんある。毎日のように入院の申込があった。

    その2(クリック)

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