作家であり、社会評論家でもある橘玲氏の集大成ともいえる内容で、初めて「ひとの幸せ」について真正面から取り組んでいます。
幸福であることを条件づけるものは、「自由」「自己表現」「共同体=絆」の3つである。
橘氏は、「幸福」は、しっかりした土台の上に設計するべしとし、その人生の「インフラストラクチャー」を前述の3つに対応させて、以下に求めます。
「金融資産(資本)」「人的資本」「社会資本」。
この3つの資本の組み合わせによって生まれる「人生の8パターン」によって、すべてのひとびとの「幸福」のカタチが説明できるとしています。社会資本(中学からの友達ネットワーク)しかない田舎のマイドルヤンキーは、「プア充」。「友だちネットワーク」から排除されるとたちまち3つとも持っていない「貧困」に陥る。金融資産がなくても、高収入を得られる職業につき、友だちや恋人がいれば、人的資本と社会資本を持っている「リア充」。人的資本と金融資産があって社会資本がないのは、「金持ち」の典型、という具合。3つの資本をすべてそろえることは難しいが、せめて2つをそろえれば「幸福」といえる状態になるのではないか。では、どうすれば2つをそろえることができるのか…、そして「幸福」になれるのか、3つの資本を解説しながらその答えを追いかけます。いままで橘玲氏が述べてきたことの集大成的な本です。
今回の本の一番のポイントは、我々の持っている資本を3つに分類し、それをもとに人生を設計していくことを提案していることです。
「金融資産(資本)」 お金、証券、不動産などの資産
自由「人的資本」 一般的な労働(知的労働だけでなく、会社や社会的地位など。)
自己実現「社会資本」 友人、家族、親戚、会社の上司、同僚など、ひととのつながり
共同体=絆これら3つの資本の、有り、無しで、人生のパターンが8つに分類されます。

全部もっているひと。
これはすごいですね。
氏はこれを超充と名付けていますが、こんなことは有り得ないと言い切ります。
それは、金融資本と、社会資本がしばしば対立するからだそうです。
お金(金融資本)を持っているひとは、それを稼ぐ過程で周りの人との付き合いを絶たないといけないタイミングがあるようです。
人的資本(恵まれた仕事)と金融資産(じゅうぶんな財産)があれば、面倒な人間関係を切り捨てても困らないというこです。その典型が、投資家やトレーダーということのようです。(図7)

図8は、金融資産と社会資本を持ちながら人的資本がない(働いてない)ひとの例です。
イメージとしては、気前よく財産をばら撒いて人気者の「旦那」のようです(笑)

図10は、人的資本のみをもっており、金融資産や社会資本を持たないひとです。
イメージとしては、仕事人間でしょうか。仕事に生きがいを感じていますが、給料は安く、忙しすぎて周りのひとのとの付き合いが希薄になっているひとのようです。
仕事は充実しているが、プライベートが薄っぺらのイメージです。これをソロ充というようです。
図3は、社会資本をのみをもち、金融資産と社会資本を持たないひとです。プア充と呼ばれます。
本文では、いわゆる「マイルドヤンキー」を例にあげて、地方のショッピングセンターにいつも同じ仲間で集まって、軽自動車で移動して、安い食材をみんなで食べて充実している様子を描写します。
貧乏で、仕事もないけど、いつも仲間とつるんで、同じ空間と価値観を共有して、どこか幸せそうです。

図4は、「貧困」です。
なにも資産を持たない、仕事もない、信頼できる仲間もいない。すべての資産から遠ざかってしまったひとを本当の貧困と呼ぶのだそうです。
→ ここから何を学ぶかこのように人間の幸福を3本の柱でシンプルに考えると、自分のいる位置がはっきり分かってきます。
わたしは、ある程度の金融資産を持ち、医師としての人的資本も持っているつもりです。
年齢を重ねてから気がついて来たことに、「友達が減ったな」というのはありました。社会資本は少ないのです。
中学校、高校時代の友人とは金銭感覚が合わなくなり、医学部時代の友達とも、(わたしは政治空間で、貨幣空間の話をしてしまうので)価値観が合わなくなってきたことを感じます。わたしは社会資本を最小化していたのです。
なので、わたしが居る位置は図7の金持ちということができます。(金融資本は少ないです(汗))
では、自分はどこに向かおうとしているのか。
社会資本も増やして、超充をねらうのか、
いまのまま、金融資本を増やして金持ちになるのか。
答えは、金融資本をどんどん増やして、金持ちを突き詰めてやろうということだと思いました。これがわたしが歩んでいく道です。
医師としての人的資本は、これ以上は大きくならないだろうし、医師という仕事を辞めた瞬間にゼロになってしまうので、これからわたしが伸ばしていくべきところは、金融資本ではないかと思いました。
社会資本は、医師としての人間関係よりも、投資家としての人間関係を突き詰めて大きくしていくべきかなと思っています。
金融資本と、社会資本を伸ばした状態で、医師を辞めたとき、わたしには「旦那」のような老後が待っているでしょうか。
政治空間と貨幣空間権力ゲームは戦国時代や三国志の世界で、その目的は、集団のなかで一番になること(国盗り)と、異なる集団のなかで自分の集団を一番にすること(天下平定)です。もちろんみんなが勝者になれるわけではありませんから、集団のなかでどのように振る舞うかもこのゲームでは重要になります。この権力ゲームの行なわれるフィールドが政治空間です。
それに対してお金儲けゲームの目的は、与えられた条件のなかでもっとも効率的に貨幣を増やすことです。権力ゲームは勝者総取りが原則ですが、お金儲けゲームはなにがなんでも一番を目指す必要はありません。べつに世界一のお金持ちになれなくても、ほぼほぼ裕福な暮らしができればみんなハッピーなのです。 このゲームのフィールドが貨幣空間になります。
前半の権力ゲームの舞台が、政治空間で、
後半のお金儲けゲームの舞台が、貨幣空間です。
わたしたちは、この二つの空間を同時に生きています。普段はこの空間の違いを意識すること無く。
しかし、この空間の違いを意識できるようになることで、自分がいまどの空間にいるのか、どう振る舞うべきなのか、客観的に自分の立ち位置をみることができるのではないかと思うようになりました。
政治空間には愛情や友情だけではなく、嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などのどろどろとした感情が渦巻いています。恋愛から戦争まで、人間ドラマのすべては政治空間で繰り広げられるのです。
それに対して貨幣空間はお金を介したコミュニケーションなので、ものすごくフラットです。いつも買い物をする八百屋のおじさんに愛情や憎悪を感じるひとはいません。通販でモノを買う場合は、相手が何者かなんて考えもしないでしょう。この冷淡さがあるからこそ、貨幣空間は無限に広がっていけるのです。
自分の生きている空間で言えば、普段、医師として働いている空間は政治空間でしょう。
家族との時間も政治空間でしょう。
それに対して、このブログを通じて、株式投資を楽しみ、利益を得ている自分は間違いなく貨幣空間の住人でしょう。
わたしは、一日の中で、政治空間にいる時間と、貨幣空間に居る時間があるのです。
両者は相容れませんが、同時にわたしのなかに存在することは確かのようです。
政治空間に生きている時間は、できるだけ貨幣空間のことを忘れて、嫉妬や憎悪、裏切りや復讐などのどろどろとした感情にも感心があるように振る舞うのが良いのでしょう(本当はまったく興味がない)。
貨幣空間に生きている時間は、とても好きな時間です。このブログを書いている時間や、株式投資についてあれこれ考えている時間や、ツイッターのタイムラインを眺めている時間、だれとでもネットを介してフラットに接することができますし、なによりストレスが無く、空間が無限に広がっている感覚が非常に気持が良いです。

図24はひとが主観的に感じる、愛情空間、友情空間(政治空間)と、貨幣空間の大きさです。
わたしにとっては、大きな「びっくり」なのですが、、普通のひとは、主観的には貨幣空間を殆ど意識すること無く、愛情空間や友情空間(政治空間)を生きているようです。
本当は(客観的にみると)、貨幣空間をもっと意識すべきなのに、、(右図)
びっくりでした。
わたしは、みんながみんな、貨幣空間を大きなものと感じていると思っていましたので、、
貨幣空間を大きく感じているわたしは、「異質」だったです。
このことは大きな気付きでした。ここから、わたしは貨幣空間を大きく意識しながらも、あたかも愛情空間や友情空間を過大評価しているように振る舞えば、政治空間での成功できることがわかります。
そのことに気が付かせてくれた本書はとても価値にあるものになりました。
その他、付箋したところを箇条書きに。
限界効用逓減の法則
1. 年収800万円(世帯年収1500万円)までは、収入が増えるほど幸福度は増す。
2. 金融資産1億円までは、資産の額が増えるほど幸福度は増す。
3. 収入と資産が一定額を超えると、幸福度は変わらなくなる。
年収は1500万円で、満足は最高に達して、
資産は1億円を超えてしまうと、満足は最高になるよです。これ以上は、収入や資産を増やしても満足は変わらなくなるようなので、
わたしはとりあえず、この額を目標としてみようと思いました。
超金持ちと言われる、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグ、ウォーレン・バフェットも、一定以上の資産を持とうと思わず、必要以上の資産は寄付すると公言しています。自分も早くこのレベルになりたいです。
すべては富の差異から生まれる
ウォーレン・バフェット「私の成功のいちばんの理由は米株式市場の長期的な成長に乗ったこと」
橘玲「ナスダックのITバブルに乗れたことと、2000年代はじめの中国経済の爆発的成長に乗ったこと」
富の差異から、資産を築き上げた橘玲氏は、限界効用逓減の法則から、金融資産への感心がなくなり、資産運用については書き尽くしたと考えるようになります。
おそらく、今後はAIやビットコイン、ブロックチェーンによって、金融産業がIT化していくことは間違いないようです。そこにまた、富の差異が生まれ、流れに乗れたひとが億万長者になるのでしょう。
会社が求めているのが社員の「能力」ではなく、「組織の中で働けるか」だから、 (中略)
その学生が「興味の持てない仕事、裁量権のない仕事、希望してない地域での勤務」を命じられても、組織の中で縁の下の力持ちの役割を果たせるかどうか。
すべての教育は洗脳である。堀江貴文氏の言葉ともリンクする部分です。日本の教育は会社に順応できる人材を育てる機関なので、その教育の延長にあるのは、社畜でしょう。
貨幣空間は農耕と交易によって成立したのですから、わずか10000年の歴史しかありません。
これがひとびとが貨幣空間に僅かにな価値しか認めない理由です。
改めて、貨幣空間というのは、我々のこころの大部分を占めているものの、その価値を我々が軽視している分野だといえます。
我々は、無意識のうちに政治空間と貨幣空間を区別し、政治空間(愛情や友情)に貨幣が購入することを避けています。
政治空間(愛情や友情、いわばワンピースの世界)に大きなウェイトがあると感じるのに対して、それを貨幣価値で測ること(友情は3000円、セックスは3万円)をものすごく毛嫌いします。
本当は、貨幣価値のほうが大切なのに。
貨幣空間の際立った特徴はそのシンプルさにあります。
「正直」「契約の尊重」「見知らぬ人との協力」です。
ネットオークションの「評価」の世界です。
見知らぬ人から、「いいね!」という評価をもらえるひとが、正直で契約を尊重しているひとだとみなされる世界が、貨幣空間なのです。
この世界は無限にそのその裾野が広がっており、富も名声も無限に広がっています。
政治空間よりも、貨幣空間を尊重することで、わたしたちは無限の富をえることができるようです。
フリーエージェントは知識社会に最適化して生き方で、「好きなこと」に人的資本のすべてを投資し、官僚化した組織では生み出せないコンテンツやテクノロジー、スキルや知識を独占します。インターネットを通じて顧客と直接つながることができるようになった彼らは組織に従属する必要がなくなり、人間関係を選択することで自由な人生を楽しむのです。
政治空間が社会を支配する日本では、フリーエージェントのような生き方は否定されがちですが、グローバルな知識社会では、フリーエージェントのような生き方が、勝ち組になっていくのでしょう。
「つよいつながり」を恋人や家族にミニマル化して、友情を含めそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換える
さあ、氏の一番言いたいことがここにありますよ!
繋がりとか、絆とか、日本人の好きな言葉や最小化していいのです。友情も最小化、ミニマライズ。
それ以外の関係はすべて貨幣空間です。
そう、お金で解決なんです。
これが、この2017年に最適化された幸福の資本論なんです。
仕事や友人とかの政治空間は、最小化して、そう、すべて貨幣空間に変換してしましましょう。
そうすることで、我々は自由になれます(笑)
これが凡人にはできないことなのです(笑)

ということで、金銭的にも人間関係にもなんのストレスもなく、好きなことに人的資本を集中して自己現実できるようになる、最高のポートフォリオはこれです。
アメリカのニューリッチが実践している幸福はこれなのです。
どんな組織にも属さず、誰にも遠慮せず、好きなことを書いて生計をたてている橘玲氏は、読者の声を糧として生きています。
「ひとは自分と似ているひとからの助言がもっとも役に立つ。」
わたしは勝手に橘玲氏に似ていると思っています。